従業員の引き抜きについて

従業員の引き抜きについて

1 はじめに

今回は、取締役による従業員の引き抜きについてお話したいと思います。例えば、ある会社が、友人3人(A、B、C)の共同出資のもと設立され、その3人が取締役となり、3人共同で会社を経営していたところ、その後、3人の間に対立が生じ、多数派(A、B)と少数派(C)に分かれてしまい、少数派であるCが独立を画策し、懇意にしている従業員を引き抜いて(つまり退職させて)新しく設立する自らの会社に入社させるという場面を想定しています。

このような場合、会社法上どのような規制がなされているのでしょうか。この点についてお話したいと思います。

2 善管注意義務・忠実義務

まずは、会社法上、取締役が会社に対して負う義務についてお話します。会社法上、取締役は、会社に対し、「善管注意義務」・「忠実義務」なる義務を負っています。双方の義務は、名前は異なるものの、質的には同じものであると解釈されています。

その義務の内容は、抽象的にいえば、株主の利益を最大化する目的のため職務を行うことにあり、これを具体化すると、①注意深く業務執行の決定を行う義務や、②法令遵守義務、③他の取締役の監視義務(取締役会設置会社の場合)などに分かれています。

このような善管注意義務・忠実義務の内容の1つとして、取締役は、「会社の利益を犠牲にして自己又は第三者の利益を図らない義務」を負っています。これが問題となるのが、今回のテーマである従業員の引き抜きの場面です。

3 引き抜きは義務違反か

ある裁判例によれば、プログラマーやシステムエンジニア等の人材を派遣することを目的とする会社において、取締役が部下の従業員を引き抜くことは、義務違反にあたるとされています。この裁判例では、人材派遣という会社の目的に注目し、会社の重要な資産ともいえる人材(従業員)を、自らが新たに設立する会社で雇用するため、退職を勧誘することは、会社に対する重大な忠実義務違反であると結論づけています。

また、警備清掃業務を主な業務とする会社において、大株主との軋轢を嫌った取締役らが、ほとんどの従業員を新会社に入社させ、取引先も奪い、いわば「乗っ取り」を行ったという事案で、取締役らの義務違反を認めた裁判例もあります。

学説の中には、不当な勧誘のみを義務違反とすべきというものもありますが、上記2つの裁判例は、「勧誘行為が当然に義務違反に該当することを示したもの」であると分析されており、現在の裁判実務では、取締役による引き抜きは当然に義務違反となると考えてよいと思われます。そのため、会社は、従業員の引き抜きによって損害を被った場合、従業員を引き抜いた取締役に対して、その損害の賠償を請求できることになります。

しかし、取締役が、従業員に対して退職を勧誘したわけではなく、単に、独立して新会社を設立する意図を伝えただけでは、取締役に義務違反はありません。また、取締役を退任した後に、もともとの会社の従業員を勧誘することは自由ですので、これが義務違反となることもありません。

4 まとめ

ある会社の取締役に就任している場合に、他の会社を設立し、その会社に従業員を引き抜くことは、まさに、会社の利益よりも、自ら設立した新会社の利益、ひいては自己の利益を優先することになりますから、「会社の利益を犠牲にして自己又は第三者の利益を図らない義務」に違反すると言わざるを得ないでしょう。ですから、部下を引き抜いて独立したい(新会社を設立したい)場合は、取締役を退任した上で、部下に対して退職勧誘を行うことが賢明でしょう。